読書と場の記憶

偶然がつなぐ物語

【Posted by  中尾 恵美 emi nakao 】

偶然も重なれば必然のように感じ、何かに導かれている気になる。それを真に受けるかどうかはその人次第だけれど。

『冬虫夏草』という梨木香歩著の本がある。梨木氏の前著『家守奇譚』という亡き友人の家を守る物書き綿貫征四郎と、草や花、鳥や獣、竜に人魚など様々な自然の精との交流を描いた作品の続編にあたる。

物語の舞台は現代から百年ほど前の滋賀県琵琶湖の近くの山奥。姿を消した飼い犬ゴローを探しに行く征四郎が道々でこれまた天狗や河童の少年、宿を営むイワナの夫婦などと出会いながら人間と精がともに暮らす山を旅する物語である。南阿蘇の草原のような見通しのきく軽やかさとは違い木々が生茂る濃い緑と大木の木陰のある濃密な森を感じさせる山々、人も自然の精も全てをその影が隠し、ちょっと変わったものとすれ違ってもさして気にならない、そんな物語の空気感がとても好きだ。

物語の中には鈴鹿の山奥として君ヶ畑(きみがはた)や蛭谷(ひるたに)、九居瀬(くいせ)など現在の東近江市辺りの地名が出てくる。やけに詳しい地名や川の名が次々に出てくるなと思っていたが行ったことのない場所のため読んでいた当時はピンと来ず、作者の創作なのか現実に存在する場所なのかさえあまり注意せず読み進めていた。それが思いがけず私の暮らす現実と交わる出来事が起きた。

ひなた文庫の常連さんでとても物知りなおじいさん(Sさん)がいる。気になった事を調べて自身で資料にまとめ、時々それをコピーして持ってきて教えてくれる。近くにいくつかある水源の水質を比較してまとめたり、南阿蘇村に建つ石碑の由来や言い伝えを調べたり、しっかり文献にあたって詳しくまとめられている。

よく晴れた五月のその日もSさんがやって来て資料を見せてくれた。どれどれと読んでいると思いがけず君ヶ畑や蛭谷という文字が目に飛び込んできた。ちょうど同じタイミングで物語に出てくる地名に出会うなんて、Sさんにこの本を読んでいるのを話しただろうかと訝しく思いつつ何か始まりそうな予感もして気持ちが高まった。

この資料というのは木地師についてまとめられたものだった。木地師とはトチ、ブナ、ケヤキなどの広葉樹の木を伐採し、轆轤(ろくろ)と呼ばれる特殊な工具を使って盆や椀を作る職人たちのことである。明治まで材料が豊富に取れる山林を転々としながら木地挽きをし、山を降りて里の人と交易をして生計を立てていた流浪の民である。平安時代に文徳天皇の息子、惟喬(これたか)親王が都から落ち延び、その地の杣人(そまびと)に轆轤技術を伝えたのがはじまりと言われている。惟喬親王が都から逃れたその地は小椋谷と呼ばれ、それが君ヶ畑や蛭谷、九居瀬の辺りなのである。物語の中でも征四郎が旅する途中で惟喬親王を祀った筒井神社の前を通り、君ヶ畑の地で木地師と出会う。Sさんの資料を読んで『冬虫夏草』の物語は史実をもとに書かれた物語なのだとその時初めて気づいた。

しかし何でまたSさんが滋賀の辺りの話を興味を持って調べているのか。Sさんの興味は今まで南阿蘇やその周辺のことばかりだった。気になって尋ねてみると、

「この前そこの川の向かいのレストランに食事に行ってね、そこで出てきた盆が如何にも古そうだったからご主人に聞いてみたんですよ。そしたら、むかし木地師が作ったものだと教えてくれてね。それがきっかけで調べはじめたんだ。」と。

その後、宮崎県の五ヶ瀬町には木地師の子孫が残っており当時使われていた道具なども残っていて資料館のようなものもあるとわかったそうだ。五ヶ瀬町はひなた文庫のある南阿蘇村とひとつ町を挟んだ場所にある。

本の内容とSさんが話す内容がそこここで繋がり次第に私の中でやわやわと形になっていった。滋賀県の山奥小椋谷を発祥とした木地師の民は木材がある土地を求めて山々を渡りながら全国へ散らばり、海をも超え私がいる熊本のこの地にまでやって来ていた。そして惟喬親王が考え出した技術で作られたその盆は今なお私の目と鼻の先で大事に使われている偶然読んでいた物語の内容と読むまでは存在も知らず何の関係もなかったように思えた木地師の存在が平安時代から現代、小椋谷から南阿蘇のこの地へと一気に集約されこの瞬間私の中で繋がった。道のりや年月の途方のなさとは一転して駅舎から見える風景は長閑なレンゲ畑でその差に目がくらんだ。

Sさんの資料の中には蛭谷や君ヶ畑の木地師の末裔は小椋姓や大倉姓を名乗るものが多いと書かれていた。思い返してみると高校時代の同級生にひとり小椋の苗字の子がいた。笑顔の可愛い綺麗な子だった。もしかするとその子も? 私が高校時代を過ごした岡山の地にも? 疑問と興味が次々に湧き起こる。この偶然をそのままにしておくのはもったいない気がしてこれはちょっと調べてみようと木地師についての文献を探った。

自ら所有する土地を持たず、すぐに移動できるよう柱を建てただけの小さな掘建て小屋に住み、墓でさえその場に残して次の土地を目指す。惟喬親王を祀りそれを支えに山から山へと渡り歩く誇り高き流浪の民。そういった人々が岡山にも、九州にも、東北にもいた。これは物語ではなく現実の話。

更にSさんの資料を読んで幾日かあと高畑勲監督の『かぐや姫の物語』が地上波で放送された。何気なく見ていると、かぐや姫が幼少期を一緒に遊んで過ごした子ども・捨丸(すてまる)は木地師の子であった。画面の中の捨丸達の生活は私が想像していた木地師の生活よりもはるかに生き生きとのびやかに描かれていてなんだかとても嬉しくなった。

『冬虫夏草』からはじまり、駅舎で話すSさん、高校の教室にいた小椋姓の同級生、野山を駆けまわるかぐや姫と捨丸、何か意味があるかのようにここ数日で次々と私の周りで繋がっていった。物語と現実が交わり私の中でひとつの物語として続いているようだった。

今度はそろそろ小椋谷に行ってみなければと思っている。

物語の新たな展開に出会えたりしないだろうかと次の偶然を待っている自分がいる。

投稿者 :  中尾 恵美 emi nakao

ひなた文庫店主。2015年から夫と二人で熊本・南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」を借り古本屋ひなた文庫を始める。2016年より毎夏「本屋真夜中」を駅舎にて開催。

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