読書と場の記憶

父の本棚

【Posted by  畠山浩史 hirofumi hatakeyama 】

父が遺した蔵書の中から再読に耐えられそうなもの約百点を選んで、今は使われていない旧い酒蔵で展示したことがあります。物心ついた頃から団地住まいだった我が家は、箪笥以外の家具らしきものを持たずに暮らしてきました。父が学生時代から大事に持っていたトルストイ全集も、当時中学生だった私の部屋の粗末な本棚の一角に据え置かれていました。しかし部屋の風通しの悪さからか、引越しの時には、ほとんどの本に黴が生えてしまって、捨てていかざるを得ませんでした。父は相当落胆していた様子でした。それは単に大事にしていた本が損なわれてしまっただけでなく、私が当時、その全集に全く興味を示さなかったのも一因のようでした。

それから我が家は父の郷里の熊本に終の棲家を建てました。庭には芝生を敷き詰め、大型犬を飼い、父の一番の念願だった大きな本棚も購入しました。東京の大学に通っていた私は、時たま帰省しては、その本棚から興味を引いた本を数冊、東京に持って帰ったりしていました。やがて父も母も他界し、衣類や生活道具類はほとんど処分しましたが、その頃には自分も本好きな人間になってしまっていたこともあり、父が遺した蔵書だけは簡単に捨て去ることが出来ませんでした。

父が亡くなってから数年後、私は熊本の実家に戻っていました。しばらくして定職も見つかり、人の縁も少しづつ拡がりつつあった時、熊本の山鹿で自宅だった古民家を改装してギャラリーを営む人と出会いました。その方は年に一度、様々なアートの展示を、ご自身のギャラリーと山鹿の町でされていて、私にも参加してみないかと声を掛けて頂きました。山鹿は元々、温泉のある街道の宿場町として、また菊池川流域としての地の利を生かした米の集散地として、そして第二次大戦が始まるまでは養蚕業もかなり盛んだったようです。今でも町には蔵や町屋の造作を残した家々が残り、当時の面影を今に留めています。ちなみに山鹿は父と私の母校がある町でもあります。アート展のメインとなる会場は元酒蔵で、今はカフェとイベントを行う空間として活用されています。蔵が空いている時に、何か本にまつわる企画ができないかと考え、冒頭で述べたような、父の蔵書の展示を実行することにした次第です。

展示のための仮の本棚は、蔵の倉庫に眠っていた板材を借りて自分で制作しました。展示自体は個人的な蔵書を並べただけの単純なものでしたが、思いがけず、いろんな方から賛意を得ることができました。遺された本たちに囲まれた空間で、会場を訪れてくれた方たちと会話していると、本に向って、自然と喪に服しているような気持ちになりました。

父の蔵書を実際に並べてみて、ひとつ判ったことがあります。それは父がかつて選んだ本たちが、今の自分の選書にかなり近かったことです。展示した本たちに関しては、あまり内容まで吟味もせず、直感的に選り分けたつもりだったのですが。中身は読まずとも、陽に焼けた本の背表紙を、何気に日々眺め続けているだけで、人はどうやら読書の傾向にまで影響を受けてしまうようです。生前、あまり話らしい話などしたことの無かった父と子でしたが、今ようやく父の蔵書を通して会話をしているような気がします。

投稿者 :  畠山浩史 hirofumi hatakeyama

1962年博多生まれ。多摩美術大学建築学科卒業。写真家、いわしの文庫管理人。 オーストラリア、ニュージーランド、日本国内を旅しながら20代30代を過ごす。 2014年秋、熊本山鹿のMetro Cafe内にて、父が遺した蔵書と自身の本、五百冊 を納めた「いわしの文庫」を発足。店内のからすの文庫、二千冊の絵本と共に貸出しを行っている。2019年1月から年に一度、熊本山鹿の天聽の蔵にて「大山鹿古本市」を、熊本市内のタケシマ文庫と共同主催。
大山鹿古本市 twitter
雑誌coyoteNO.68にて写真掲載

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